日本の城跡

大井城

遠望
訪問日 H23年 1月
ポイント 50m程の小高い山にあるが、東西北の三方は断崖をなし、南のみが尾根続きの小規模ながら要害の地である。城郭はこの辺では珍しく、連郭式縄張りで峰続きに三つの堀切で固めている。一番高い山頂部に主郭を配し、その北方に一段低い北の郭と狭い腰郭がある。南には幅6mの堀切を挟んで二の郭があり、中央部に石積みの物見櫓跡と思われる台地がある。二の郭の南に一段低く三の郭が幅3.5mの土橋が付いた堀切の先にある。更に垂直に削られた堀切があり、南の郭が続いている。それぞれの郭の斜面には腰郭を配している等貴重な中世の山城の遺構である。
印象 南の郭に通じる墓地から登城す。この郭は尾根筋を少し広げた程度で、平坦地が少ない。立派な大木が主のように枝を広げていた。垂直に近く削った岩盤の堀切と藪の為一旦登城を断念。二の郭下の家の前に夫人がおられたので別の登城口を尋ねると、庭を通って良いとのこと。結構厳しい道を登り、二の郭・主郭・三の郭・堀切を見ることが出来た。夫人が後から元気に登ってこられたのにはびっくりした。元気!高梨様有難うございました。
地図
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略史  前九年の役の時、源頼義・義家に従った大井太郎の居城といわれているが不明。戦国時代、豪族丸氏の一族である大井氏(安東氏)の居城となっていたが、房総里見氏三代義通の死去に伴い勃発した内乱の際、神余氏・丸氏らの在地土豪の末裔らが立て篭もって里見氏に叛旗を翻した。しかし里見氏方の正木時綱に落され廃城となった。
 南郭への登城道の石仏 同墓地を通る 南郭
南郭の腰郭 南郭と三の郭間の堀切 三の郭 二の郭下の山梨氏宅庭
二の郭と出郭間の堀切 二の郭土壇 二の郭と三の郭間の堀切・土橋 同土橋・堀切 同反対側の堀切
三の郭から二の郭を見る 三の郭土壇 同祠 二の郭から見た一の郭 二の郭と一の郭間の大堀切
一の郭虎口 同八幡宮・土塁 一の郭から北の郭へ、右は腰郭 一の郭の腰郭 高梨氏宅