日本の城跡

竹ヶ岡陣屋

訪問日 H22年 3月
ポイント 陣屋は長方形で、周囲は土塁で固めた。正門を入ると御式台・本陣があり、それを囲むように守備兵の住居としての長屋があった。その他、武器庫・銀蔵・米蔵・作業所等があり、本陣の裏には砲術・槍術などの訓練場があった。面積は22,500u。
印象 竹ヶ岡小学校周辺が陣屋跡地らしい。前に白孤川、後ろは山を抱える。土塁の一部が残るが、遺構は殆んどない。白孤川沿いに城山が良く見える。
地図
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略史  江戸幕府は海防を重視し、松平定信に命じて台場とそれにともなう陣屋を構築させた。台場は竹岡・津浜の海岸、廃城になっていた造海城の麓に造り、陣屋は内陸に入った平坦地に造った。陣屋には200名の守備兵を配置し、会津・忍・二本松・柳河藩が駐屯した。明治維新後廃止された。