日本の城跡
深沢城(別称:神梅城・城宿城)
略史 平安後期に前九年の役で源義家に降った安倍宗任が京都に送られる時、宗任を慕って多くの蝦夷人が当地までつき従ってきた。その際、大半の蝦夷人は帰国させられたが、阿久沢・松島ら90人余が京都と奥羽との連絡という名目で渡良瀬川上流の黒川山中に残された。深沢城はこの黒川郷士の阿久沢氏が郷士たちの寄居として築城したもの。郷士たちは桐生祐綱に服属していたが、桐生氏滅亡後、上杉謙信により阿久沢氏は降され、深沢城は越後勢が入城した。しかし謙信の死後、金山城主・由良国繁が黒川郷士を幕下に従えた。由良氏は阿久沢彦次郎に五覧田城を攻略させ、沼田への侵攻路を確保し、2年後侵攻したが成功しなかった。豊臣秀吉の小田原征討で、阿久沢氏はじめ黒川郷士たちは小田原に立て篭もったが、北条氏の滅亡と共に深沢城は廃城となり、阿久沢氏は帰農した。 |