日本の城跡
新田館
総持寺山門
訪問日
H23年 9月
ポイント
世良田集落の西端、早川の彎曲部に西側を寄せて築かれ、西半は総持寺と墓地になっている。新田荘は平安時代末期に成立した荘園で、源義国を父とする義重は太田市西部に位置する早川流域を再開発して19郷を支配下に置き、義重は更に37郷を開発して、太田市西部を荘園化しました。総持寺は国指定史跡の新田荘遺跡の一つである。
印象
寺の北東部に城碑があるのみ。濠が残るということだが遺構は見当たらない。総持寺の山門・梵鐘・本堂は見ごたえある。
地図
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略史 鎌倉時代の世良田は新田の庄の経済的・文化的中心であったことからみた、新田宗家の館はここであったろう。鎌倉末期、北条高時は世良田に莫大な軍資金を課し、使者を派遣して無法な譴責を加えた。義貞はわが館の辺を雑人の馬蹄にかけさせつることこそ無念なれと怒り、これを捕らえて一人は世良田の里に?首した。また、源頼朝が那須野・三原の狩の帰途に遊覧した新田館もここであろう。
総持寺本堂
梵鐘