日本の城跡
小幡陣屋
略史 当地は武蔵七党の児玉党一派の小幡氏が支配。小幡氏は国峰城を居城とし、後に武田信玄の幕下に加わり活躍した。徳川家康の関東入部により、奥平信昌が上野小幡に封じられ、国峰の重臣熊井戸正満の屋敷跡を居所として立藩した。関ヶ原後、信昌は美濃加納へ移封となり、代わって松平忠明、水野忠清、井伊直孝、永井直勝が入転封した。1615年織田信雄に大和宇陀に加え小幡が加増され、翌年四男信良が分封受け旧甘楽郡福島に入封した。次の信昌の時に小幡に移り、小幡陣屋を構築した。織田氏は小大名ながら、名門の血筋から国持・城持大名格に遇された。織田氏は七代続いたが、信邦の時尊王思想を鼓吹する山県大弐らの“明和事件”に家臣が関わったことから、信邦は蟄居、後を継いだ信浮は出羽高畠に転封となった。次に奥平氏の庶流の松平忠恒が入封し、明治まで在藩した。松平氏はその後の歴代藩主、いずれも奏者番・若年寄・寺社奉行等を歴任し、家格も城主格に昇格した。最後の忠恕は寺社奉行となり、武田耕雲斎率いる浪士隊との戦いには敗れたが、武州一揆の鎮圧には成功した。戊辰寺には新政府軍に参陣して転戦、明治を向えた。 |