日本の城跡

早川城山(別称:早川城)

遠望
訪問日 H16年 3月
ポイント 城山の東西には谷が深く切り込んでおり、その間に12m.の高さで舌状の台地が広がっている。しかも東西の谷には豊富な湧水があり湿地になっている。周辺に広がる渋谷荘の中心。
印象 綺麗に公園化されている。空堀、郭、土塁、櫓台の跡がある。渋谷氏の末裔と言われる東郷平八郎の記念碑があった。湧水が豊富であったらしく水堀のような感じでわさび田がある。それにしても住宅が急速に迫っており心配だ。
地図
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略史  桓武平氏、平良文流の秩父別当武基を祖とする渋谷重国は源頼朝の旗揚げ当時、一時石橋山合戦で平氏方として大庭景親と共に戦ったが、後に頼朝に従い幕府の御家人になり、渋谷荘66ヶ村を支配した。しかし重国の次男で渋谷氏を代表していた高重が和田義盛の挙兵で和田方に味方して討死し、渋谷荘の地頭職を奪われた。その後一族の実重が三浦康村の乱で北条方に加担して戦功あげ、薩摩の地頭職に。城山には末裔と言われる石川氏が徳川の臣下となり居住した。
本郭へ
本郭へ
土塁
土塁・空堀
東郷平八郎碑
櫓台
空堀
 
空堀・土塁
本郭堀