日本の城跡

石垣山一夜城(別称:太閤一夜城)

遠望
訪問日 H9年 7月、R4年3月
ポイント 陣城ながら天守まで備えた本格的城郭。更に全域を野面石積みで構えられた城郭で関東では最初の築城例である。又、攻撃軍の徳川はじめ豊臣大名はそれぞれ小田原城の周囲に堀、土塁、天守を備えた陣城を構築しており、朝鮮の役の肥前名護屋城と取り巻く陣城群構築の予行演習のよう。
印象 一夜城と言われるが、石垣を廻らした本格的城郭だ。天守、櫓、本丸、二の丸、郭、大井戸等備えびっくりした。まさしく小田原城を眼下に見据え、太閤と徳川氏の小便が届いたろうか。北条方の諸将もさぞや肝をつぶしたことだろう。25年振りに再訪。整備が進み、石垣が藪の中から顔を出し、迫力十分だった。短期間で構築できたのはこの丘陵が安山岩で出来ていた為とボランテアの案内人に聞いて納得。
地図
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略史  小田原征討で豊臣秀吉は山中城を抜いた後、早雲寺に入り北条早雲が牛の角に松明をくくり、大森氏の小田原城を攻めた時の早雲の陣所となった笠懸山、後の石垣山に築城を開始した。60日程で完成し長期戦に対峙した。徳川の時代にも箱根を押える要害として有事に備え管理された。
虎口
石垣
櫓台
南郭石垣と大堀切
本丸・天守台
本丸
二の丸
天守台
櫓台
井戸曲輪
    石垣

大手口

角曲輪

南曲輪石垣



同と大堀切

崩れた石垣


上から見た南曲輪石垣
角曲輪・南曲輪の崩れた石垣と大手口道
東中段曲輪 東上段曲輪方面

東上段曲輪と二の丸の石垣


二の丸(馬屋曲輪)石垣

二の丸(馬屋曲輪)
同から本丸方面

櫓台

北張出平場
その先の三の丸
小田原方面
井戸曲輪
同石垣



同帯曲輪

同虎口
小田原方面

本丸石垣


二の丸
本丸登城道 本丸北門跡

本丸西帯曲輪 本丸 本丸下の二の丸
本丸(本城曲輪)
同内の祠
天守台方面

天守台
天守台 本丸西帯曲輪

天守下の西曲輪

同石垣

本丸東門跡

西曲輪門跡

)同 西曲輪(山里曲輪)
同医師がい

南腰曲輪

南曲輪
本丸東門方面
大手口
大堀切を隔てた出城
下城途中の小田原城方面