日本の城跡

足利学校

足利学校・土塁・水堀
訪問日 H14年 6月、H26年 3月
ポイント 室町時代には全国から学生が入学、戦国時代には3,000人の学生がいた。易学等実践的学問を身につけ全国で活躍した。
印象 雨のそぼ降る梅雨に訪問。孔子廟、学校門、建物が保存されている。多くの学生が全国から集まり勉学に勤しんだ所。栃木県が誇る貴重な文化遺産だ。再訪、中に入ると、何故か別世界に入ったようで落ち着く。
地図
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略史  足利学校の創設は平安時代、又は鎌倉時代と言われるが、室町、戦国時代における最高学府であった。衰退していた学校を上杉憲実が再興し、鎌倉円覚寺の僧快元を招聘。教育は儒学を中心としたが、易学、兵学、医学を教えた。その後一時衰退したが後北条氏の保護を受け、学校を再興し3,000人の学生を抱える等盛況を迎えた。しかし秀吉の小田原征討で北条氏が滅亡し、経営は困窮した。その後徳川家康の庇護を得て再度復興繁栄したが、朱子学の官学化によって易学、兵学の当校は時代遅れとなり次第に衰退していき、学問というより古典書を所蔵する文庫とした存在になった。明治に入り足利藩校として復興を図ったが、廃藩置県により廃校になり危機に瀕したが地元の人々の活動で蔵書の散逸を防ぎ、図書の県立図書館への収納、敷地と孔子廟等建物が国指定史跡となり今日に至っている。

H14年撮影
裏門
方丈裏の北庭園と孔子廟 水堀と裏門
H26年撮影
遠望

土塁・水堀

裏門

入徳門
学校門 裏門内部より 方丈 庫理
南庭園 衆寮 字降松(読めない字を紙に書いておくとふりがなが書いてあった松) 孔子廟 方丈裏
井戸 水辺の鴨 裏側の水堀
学校前の旧家と珍しい石の塀