日本の城跡

足利藩陣屋(別称:戸田氏陣屋・御陣屋)

 訪問日  H26年 3月
 ポイント  小藩ながら歴とした譜代大名である。陣屋大門を入ると、表御門があり、門の左右に1m強の小土手があり、その上に2m弱の土塀が連なり、惣囲は欅の板塀であった。陣屋の内部は御広間・二の間・上の間・会所・御書院・御居間などがあったが、明治に入り焼失した。
 印象  現在は全く街の中に埋没。陣屋案内と陣屋大門跡が残るのみ、残念。移築陣屋門が民家の門として残っているが、ほとんどほったらかしの状態と思われ、このままでは倒壊の恐れも。観光案内の太平記館の職員の人が存在を知らなかったので、保存をお願いする。
 地図  
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略史  足利を治めていた足利長尾氏は、豊臣秀吉の小田原征伐で滅亡。徳川時代には天領となっていたが、五代将軍綱吉の生母・桂昌院の異父弟にあたる本庄宗資が、度々の贔屓の加増で大名となり足利に入封、立藩した。宗資はその後も加増を受け、常陸笠間藩に移封された。天領後、将軍世子の家宣の御側人役の戸田忠利が加増を受け、大名に列して宗家宇都宮戸田家から独立して足利藩を立藩した。その後も歴代藩主は藩政改革に努め、大阪定番や奏者番などを務め、最後の藩主忠行も陸軍奉行並に抜擢され明治を至った。


陣屋大門

陣屋跡



鬼門よけの家富稲荷神社

移築陣屋門

陣屋跡付近の旧足利銀行本店