日本の城跡

榎本城

城碑
訪問日 H24年 4月
ポイント 城は東に巴波川・杣行川、西に永野川が流れる要害である。東西613m、南北396mに及ぶ広大な平城で、縄張りは本丸・二の丸・三の丸・太鼓曲輪・清安曲輪・馬屋曲輪からなり、土塁・堀が巡らされていた。
印象 平城の宿命か、広大な城郭があったはずだったが。畑、住宅、藪の中に消えてしまったようだ。地元の老人に聞いてもはっきりしなかった。残念!
地図
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略史  榎本城は戦国期に小山氏の一族、榎本高綱が築城した。その後皆川・佐野・北条・結城氏らの勢力の接点として、たびたび戦乱に巻き込まれた。戦国末期には北条氏照の下野支配の拠点となったが、豊臣秀吉の小田原征討で、結城氏が入城した。その後結城氏の養子に入った結城秀康の領地となったが、江戸期に入ると、宇都宮城主本多正純の弟本多忠純が城主となった。忠純は大阪の役で軍功を挙げ加増を受けたが、その後本多氏は無嗣子改易になり、城も廃城となった。
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