日本の城跡

畠山陣屋

通用門・陣屋碑
訪問日 H23年10月
ポイント 岡田家は当主が代々「嘉右衛門」を襲名して26代を数える栃木市屈指の旧家である。古くは武士であったが、帰農し、江戸時代慶長の頃士豪として栃木に移住し、荒地を開墾した功績から徳川家より「嘉右衛門新田村」という名称をもらった。日光例幣使街道の開設に伴い名主役を務め、畠山氏の知行地となる邸内に領内13ヶ村を統冶する陣屋が設けられ、代官職を兼任した。また岡田氏は芸術面にも関心が深く、画家富岡鉄斎との親交をはじめ、文人・墨客が訪れている。
印象 岡田家の中に畠山陣屋跡あり。陣屋門・代官屋敷通用門・玄関等が残る。岡田嘉右衛門は士豪で栃木市屈指の旧家で、畠山領の代官も兼ねた。岡田家の前に朝鮮通信使の街道が走っている。岡田家の蔵には色々な文化財が残っている。また、隠居所が近くにあるが、これがびっくりする造りだ、そこそこに冨が散らばっていた。更に家の周囲には水堀のような川が流れていた。それにしても栃木市には古くからの大きな家・蔵・建物が大切に残されていた。
地図
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略史  足利氏の流れをくみ、室町時代に応仁の乱のきっかけをつくった管領家畠山政長の子孫、畠山基玄が1679年高家となった。1685年に都賀郡を中心に所有した5千石の領地を管理する為、例幣使街道に面した士農、岡田嘉右衛門の屋敷内に陣屋を構えた。
代官屋敷玄関 同屋敷 同にある巨木材 上杉家より寄贈の石燈籠
陣屋門・例幣使街道 岡田家蔵 昔の郵便ボックス 隠居所・陽月亭門 陽月亭
陽月亭の脇の舟運の巴波川 舟運の巴波川