日本の城跡

烏山城(別称:臥牛城)

八雲神社
訪問日 S62年10月、H23年11月
ポイント 那須家歴代の拠点。山城としては県内最大規模の一つ。いわゆる五城三郭と称され五城(本丸・古本丸・北城・平城・西城)と三郭(若狭郭・常盤郭・大野郭)があり、その広大さが偲ばれる。
印象 娘と登ったが天気が悪く、夕方で薄暗かった為思うように探索出来なかった。再訪したい。H23年11月やっと再訪。三の丸から登る。七曲がりから出丸をすぎ、本丸へ。石垣で固められている。先日の地震と大雨で一部の石垣が崩れていた。本丸は現在発掘調査中。深く大きな空堀、土塁、そして高い城塁が堅固さを誇っていた。古本丸・中丸・北城が並んでおり、それぞれに深い堀切で仕切っていた。近世と戦国時代の色合いを持った城郭だ。
地図
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略史  那須地方は古くから那須衆とよばれる一族が栄えていた。烏山城は戦国時代に那須資氏の次男沢村資重が築城、那須氏の拠点として勢力を伸ばした。しかし秀吉の小田原征討への遅参を咎められ所領を大巾に没収され没落。その後成田、松下、堀、板倉、那須、永井、稲垣氏とめまぐるしく藩主が交替、大久保常春が入封し定着した。又、その間に信長の次男信雄がわずか二ヶ月間、百七十万石の大名から二万石の烏山城主に転封されている。大久保治世に入り忠保の時、二宮尊徳仕法による財政再建策が講じられ、戊辰時は新政府軍に参陣して宇都宮城攻撃に出兵した。
近世三の丸大手模擬門 同三の丸虎口 同石垣土塁
同三の丸 同の土塁
同にある寿亀山神社
同三の丸石垣土塁
同三の丸から七曲がり方面
七曲り 鼓楼跡 車橋跡(常盤門)堀切 曲輪 常盤曲輪土塁
吹貫門跡 正門跡へ 塩蔵跡(常盤曲輪) 二の曲輪土塁 吹貫門石垣
正門跡 正門から二の曲輪へ 正門枡郭 同竪堀
腰曲輪 二の曲輪土塁・石垣 二の曲輪
一の曲輪と二の曲輪間の横堀
一の曲輪へ
一の曲輪
一の曲輪横堀
中城から一の曲輪方面
一の曲輪と中城間の堀切
中城
中城と北城の堀切
北城
二の曲輪した腰郭
若狭曲輪
竪堀を下から
正門から塩蔵跡・吹貫門方面
吹貫門石垣
同門周辺に散らばる石垣石
塩蔵から見た二の曲輪
地震と大雨で崩れた二の曲輪城塁
厩跡から見た二の曲輪・一の曲輪
同から見た二の曲輪と一の曲輪間の堀切
二の曲輪石垣
移築搦め手門
遠望