日本の城跡

白旗城

遠望
訪問日 H16年 7月、H25年 4月
ポイント 当時の鎌倉街道に沿う要衝の地であり、那珂川の支流、湯坂川北岸の丘陵上に構築された連郭式山城。。白旗城は那須七騎の首領、大関氏が室町時代から近世大名として成長する過程で重要な歴史的役割を果たした城。
印象 連続する郭を空堀によって区画されている。良く見る中世の城郭だ。南端部に薬師堂が民家の敷地の中にあったのが印象的だった。再訪。前回見られなかった本丸・二の丸・三の丸を見る。深い空堀に守られ、横矢等工夫が見られるが、要害堅固といった城郭ではない。藪が一面にはびこり、これだけの城の全容が分かりずらいのが残念。
地図
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略史  那須七騎の首領、大関氏に始まり大関増清が築城。その後拠点は黒羽城、再度白旗城に移ったが同輩の大田原資清に急襲されて落城。以後大関氏を名乗った大田原氏の黒羽城の出城として幕末まで任を果した。名前の由来は源頼義が安倍頼時を征討する際にこの山頂に白旗を翻して軍揃いをしたことによる。          
登城口
義経塚のある曲輪
麓にある薬師堂
H25年4月訪問、左が城郭 登城口 本丸と二の丸間の堀切・左は本丸腰郭土塁 左は本丸腰郭、右は本丸土塁
本丸隅櫓台 本丸と二の丸間の堀切 二の丸
二の丸土塁
二の丸と北城間の大堀切
二の丸から本丸を見る 本丸 本丸虎口・土塁 同から三の丸を見る
三の丸腰郭 三の丸腰郭 本丸と三の丸間の堀切
本丸下の帯郭
三の丸下の帯郭 四の丸下の帯郭 三の丸と四の丸間の堀切
四の丸の義経塚
同堀切と四の丸 四の郭・腰郭 四の郭内の堀切 四の郭城ルイ
三の郭城ルイ 城下の田園風景