日本の城跡

松子城(別称:大須賀城)

遠望
訪問日 H20年 4月
ポイント 浸蝕谷が複雑に食い込んでいる台地上にある。周囲は湿地や田になっている。特に要害の地ではない。中世の地方豪族の城郭。
印象 丘に登ったが殆んどが畑になっている。地元の人に聞いても何もないよとのこと。土郭、土塁、空堀等残っているようだ。一部の土塁はわかったが、他は整備されておらず把握できず。結構な規模の城と思われるが残念。
地図
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略史  千葉氏の一族である大須賀氏は上杉禅秀の乱、結城合戦でいずれも不利な結果を招いた。千葉氏の内紛で馬加康胤が千葉氏宗家を継ぐと、幕府は千葉氏一族の東氏を下向させ康胤を攻めたが、大須賀氏も幕府軍に加わり康胤は討死した。しかし東氏が帰国後、康胤の子輔胤が千葉介になり本佐倉城を築城し本拠とした。これらの経過から大須賀氏は打撃を受け、それまでの助崎から移り、松子城を築城して勢力の確保に努めた。
反対側から
後詰
要害