日本の城跡

本佐倉城(別称:将門山城)

城跡入口・空堀
訪問日 H3年 3月:H19年10月
ポイント 平将門の居館があったとも。三方を印旛沼沿いの低湿地に囲まれ台地の一方を空堀で区切った要害。ただ、千葉氏最後の頃、現在の佐倉城のある鹿島台に新城を築城しようとしたが、家臣の造反にあって完成できなかった。
印象 比較的遺構が残っているとのことだったが畑になっていたこと、悪天候でゆっくり散策できず残念。19年10月再訪。遺構の復元が本格的になったらしく、木立の伐採等していた。前回は時間がなく、入口で終わっていたが今回は全体を見学。かなり大きい城だ、土塁・空堀等良く残っていた。今後ますます楽しみだ。
地図
地図をクリックすると拡大します

略史  千葉輔胤が千葉氏の本拠としてここに城郭を構え、以来、千葉氏の惣領の居城として君臨してきた。しかし重胤の時、豊臣秀吉の小田原征討で後北条氏に味方した為、初代常将から平安、鎌倉、室町の激動期を対処してきた名門千葉氏は後北条氏と運命を共にし、当城も壊滅した。
遠望
城内
空堀
土塁
勝胤寺
石仏
石塔
城山遠望
城山・虎口
同・堀跡
同城塁
奥の山方面
奥の山入口
奥の山
城山と奥の山間の堀切
城山・東山馬場方面
倉跡
諏訪神社方面
諏訪神社入口
セッタイ山堀切
虎口
  
同・土塁
遠望
上記四段は19年10月撮影