日本の城跡

お茶屋御殿


虎口
訪問日 H28年 3月
ポイント 御殿は空堀と土塁を巡らした方形の館形式である。空堀は薬研堀で幅5.4m、深さ2.9mある。土塁は南北2ヶ所に内桝形の虎口を設け、空堀の部分に土橋を掘り残している。現在、御成街道までの道の部分は外郭として構成されていたと思われる。江戸近郊に造営された御殿の大半が壊滅しており、お茶屋御殿はその旧状をとどめる歴史的な遺構である。特に内桝形虎口や土塁の傾斜角度が中世城郭と比較して緩いという近世城郭の特徴をもっている。
印象 御殿跡ということで期待はしていなかったが、やはり将軍の狩りの休憩所はすごかった。休憩所とのことだが、土塁と薬研堀に囲まれていた。虎口に架かる土橋を渡り、中に入ると結構広い。幅のある土塁にのぼり、一周するとその規模を実感した。
地図
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略史  徳川家康は関東入部後、江戸近郊の状況の把握し、政治状況の安定と譜代家臣団の結束を図る目的で、鷹狩りとしての御鷹場を川越・浦和・越谷・土気・東金に定めた。1614年、東金での鷹狩を計画、老中土井利勝は直ちに東金新道の普請に着手し、沿道の農民を総動員して10日ほどで完成させた。(一夜街道) この時にお茶屋御殿も造営されたと思われる。東金鷹狩は家光までの三代にわたって行われたが、四代家綱の時に東金御殿が取り壊されており、この前後にお茶屋御殿も廃止されたと思われる。

御成街道からの入口(外郭)

同からの遠望

表虎口

南側薬研堀・土塁


同に架かる土橋

内部・土塁

内部・土塁

内部、虎口方面

東側薬研堀

東側土塁・北東隅

北側土塁

同と北側土橋

北側虎口

北側薬研堀


内部の井戸跡