日本の城跡

宗吾霊堂

本堂
訪問日 H4年 2月
ポイント 佐倉宗吾は直訴の罪で公津ヶ原刑場で磔に処せられたが、当山の住僧澄祐和尚が遺骸を刑場跡に埋葬した。現在のお墓がそれである。後、佐倉藩主掘田公はその失政を悔いて篤く祀った。
印象 学生時代、学校や漫画で知っていたが、初めて行く。宗吾一代記館もあり良く分かる。仁王門・本坊等立派な寺であるが、2月に訪問したせいかもの悲しさも感じた。宗吾の為禁制を破って渡し船を出した甚兵衛の渡しが近くにある。
地図
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略史  正式名は鳴鐘山東勝寺宗吾霊堂という。桓武天皇の時代に征夷大将軍坂上田村麻呂が房総を平定した時に建立した。江戸初期に佐倉藩国家老の暴政に苦しむ領民の救済を四代将軍家綱に直訴した、義民・佐倉宗吾の菩提寺。
佐倉宗吾の墓
近くの甚兵衛の渡し