日本の城跡

亘理城(別称:臥牛城)

亘理神社・本丸
訪問日 H6年 4月
ポイント 陸前浜街道が通り、北を流れる阿武隈川の河口にある荒浜は石巻と並ぶ重要な港。かっては相馬領に近い等軍事、経済、交通の要衝。今はない大沼を背後に水堀、土塁を配置した堅城。
印象 亘理高校の敷地に一部利用され、大沼も埋められている。本丸は亘理神社になっている。JRの駅舎が立派な御殿になっていたのにはびっくり。
地図
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略史  亘理元宗、重宗父子が居城し相馬氏と度々戦ったが、のち涌谷に転封、片倉景網、伊達成実が入城した。成実は伊達一門として伊達家の勢力伸長に尽力したが政宗と不和になり高野山、のちに相模に浪人した。しかし関ヶ原の前哨戦、白石の役で帰陣を許され亘理城主となり一門として藩を支えた。仙台藩では最高の知行を有し、亘理城は城に準じて亘理要害と呼ばれ明治に至った。
本丸
本丸内堀
土塁