日本の城跡

出羽三山神社

出羽三山神社本宮・鐘楼
訪問日 H22年 8月
ポイント 修験道を中心とした山岳信仰の場。蜂子王子は不思議な呪術をもって人々の教化を行い、病を治し、災いを除いて人々から苦悩を除き崇敬を集めた。その後越前の白山を開いた泰澄、修験道の祖の役行者、真言宗の開祖空海、天台宗の開祖最澄などが来山し修業に励み修験道が確立していった。
印象 何度来てもすばらしい。本宮・鐘楼の萱ぶきの厚さに圧倒された。今回は歴史博物館に寄り、初めて神仏混合の時代で、お寺があったことや、多くの仏像が残されていたことを知った。麓の国宝・五重塔も何度見ても感動だ。杉木立の中、質素で毅然と建っている姿は日本一。また門前町手向の宿坊群も興味深かった。
地図
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略史  出羽三山は庄内地方に広がる、月山、羽黒山、湯殿山の総称である。月山、湯殿山は冬場は雪深く、近づくことが出来ない為羽黒山上の出羽神社に合祀され三所権現と称し、羽黒山は月山、湯殿山両神社の里宮の性格をもつ。出羽三山は崇峻天皇の第三王子・蜂子王子が開山した。王子は蘇我馬子らの横暴をさけ、聖徳太子の勧めにより仏門に入った。弘海と称して旅に出た蜂子王子は、日本海を北上して出羽国由良の八乙女浦に上陸、三本足の大鳥の導きで羽黒の地に入り、苦行を積み、月山・湯殿山にも登り三山を開山したという。その後平将門が羽黒神社を造営、更に五重塔を創建した。そして出羽三山は時の支配者の崇敬を集め篤く保護された。戦国時代には庄内の支配者大宝寺義氏は、弟の武藤義興を羽黒山別当に、上杉景勝の時は、直江兼続の家臣、佐野清順を羽黒山主とした。更に関ヶ原後庄内地方は最上家の支配となり、一族の宝前院宥源を別当とした。天宥の時天海に師事し、真言宗から天台宗に改宗、その後真言宗の湯殿山との対立もあったが、明治の神仏分離で神社となっている。
本宮
羽黒山東照宮
境内社   須賀滝    爺杉
   五重塔    
宿坊
最上川