日本の城跡
出羽三山神社
略史 出羽三山は庄内地方に広がる、月山、羽黒山、湯殿山の総称である。月山、湯殿山は冬場は雪深く、近づくことが出来ない為羽黒山上の出羽神社に合祀され三所権現と称し、羽黒山は月山、湯殿山両神社の里宮の性格をもつ。出羽三山は崇峻天皇の第三王子・蜂子王子が開山した。王子は蘇我馬子らの横暴をさけ、聖徳太子の勧めにより仏門に入った。弘海と称して旅に出た蜂子王子は、日本海を北上して出羽国由良の八乙女浦に上陸、三本足の大鳥の導きで羽黒の地に入り、苦行を積み、月山・湯殿山にも登り三山を開山したという。その後平将門が羽黒神社を造営、更に五重塔を創建した。そして出羽三山は時の支配者の崇敬を集め篤く保護された。戦国時代には庄内の支配者大宝寺義氏は、弟の武藤義興を羽黒山別当に、上杉景勝の時は、直江兼続の家臣、佐野清順を羽黒山主とした。更に関ヶ原後庄内地方は最上家の支配となり、一族の宝前院宥源を別当とした。天宥の時天海に師事し、真言宗から天台宗に改宗、その後真言宗の湯殿山との対立もあったが、明治の神仏分離で神社となっている。 |