日本の城跡
羽州街道(西馬音内・院内・金山宿・最上川)
略史 西馬音内盆踊り・・・・13世紀末、修行僧源親が、蔵王権現、現在の西馬音内御嶽神社を勧請し、境内で豊年祈願として躍らせた。これが関ヶ原後、城主小野寺茂道一族が滅び、土着した遺臣達が君主を偲んで宝泉寺境内で行われた亡者踊りと合流したもの。 院内銀山・・・・1606年村山宗兵衛らによって発見、開山した。1617年にローマで作成された地図にも地名が記されるほど、金および銀を産出し、江戸時代を通じ日本最大の銀山で、久保田藩の財政を支えた。明治に入り、経営権は工部省、小野組、古河市兵衛に移り、古河は銀山の近代化を進め最新式掘削機器に加え、ドイツ人技術者の採用等行った。このドイツ人技師の赤レンガ造りの住居を模して造られたのがJR院内駅に併設された院内銀山異人館、郷土資料館である。 院内関所・・・・佐竹氏が久保田移封された関ヶ原後、杉峠を開削して羽州街道とした。1608年に院内城代の矢田野義正によって関所が設けられた。主として浪人者の取り締まりと院内銀山の警備が重要な役目であった。 金山宿・・・・羽州街道は福島県の桑折で奥州街道と分かれ、七ヶ宿から金山峠を越えて山形に入り、上山、山形、新庄、金山を経て秋田県の院内、横手、大館、弘前、青森に至る宿駅五十八次の奥羽山脈の西側を縦貫する幹線街道。金山は羽州街道の新庄藩北端の宿場として重要な地であった。金山は古来より出羽国を繋ぐ重要地で、8世紀大野東人の東征後、多賀城から秋田城へ向かう官道が開削され、駅が設置された。戦国時代、最上義光が金山城を築城、小野寺氏攻めの最前線となったが、江戸時代には宿場町として栄えた。 芭蕉乗船の地・・・・この新庄の本合海はかって最上と庄内間に陸路がなかった時代、舟運の中継地として栄えた。松尾芭蕉もここから乗船し、庄内に向かった。 |
西馬音内地図 院内銀山異人館 芭蕉乗船の地