日本の城跡

天岩戸神社・東本宮


参道・鳥居
御祭神ほか 御祭神は天照皇大神。御利益は諸願成就である。東本宮の本殿裏に、杉の御神木の根元から湧き出る湧水は御神水として信仰されている。また御神水の所から左に聳える七本杉は、江戸時代に植えられたもので、根が七本繋がっている御神木である。神社に由縁の舞楽として岩戸神楽三十三番が宮司社家代々伝わり、祭典に奉奏している。
印象 樹齢数百年の緑豊かな森の中の階段を上がったところに東本宮がある。天照皇大神が天岩戸から出られて、この宮に入られたと言われ、西本宮に社務所も置かれ、参拝者も多いが信仰の中心は東本宮であると感じた。学生時代にはやはりこの宮には参拝していなかった。
略史  天岩戸神社は「天岩戸」を奉斎する神社。記紀では天照皇大神がスサノオノミコトの粗暴な所業を受け、天岩戸に引き篭もったと伝えている。社域は岩戸川の渓谷を挟んで鎮座する「東本宮」と「西本宮」、そして「西本宮」から岩戸川上流の「天安河原」の3ヶ所からなっている。「天岩戸」は東本宮の社域の奥、または「西本宮」から岩戸川を挟んだ対岸の断崖の中腹にある洞窟とされ、その御神域を御神体として奉祀している。「東本宮」は「天岩戸」を御神体とする御霊代鎮祭の本社で、天照皇大神が天岩戸から出られた後、最初に住んだ場所を祀っている。「西本宮」は御神体の「天岩戸」を直拝する拝殿にあたり、天照皇大神が雲隠れした「天岩戸」を御神体として祀っている。祭神はオオヒルメノミコト。拝殿の裏に御神体の「天岩戸」の遥拝所があり、参拝できる「天安河原」は天照皇大神が天岩戸に籠り、天地暗黒になった時に、八百万神が天安河原に集まり、神議りになったとされる霊蹟で、思兼神と八百萬神を祀っている。河原の一角には「仰慕窟」と言われる大洞窟がある。ここには社があるのみであったが、戦後「願いを込めて小石を積むと願いが叶う」との風習が広がり、信仰されるようになった。創建は両社とも不詳ながら、701年頃京都の神祇官の卜部朝臣の参拝があったとの記録がある。812年に三田井氏の遠祖の大神惟其が悪夢を見て、荒廃した東本宮社殿を再興して深く崇敬した。また898年頃の記録には、「天照皇大神天岩戸より御出ましの節、思兼神の御手を取り、東本宮の土地に造営した社殿に御鎮り願った」と記されている。しかし戦国の乱世で炎上したが、1707年に社地を整理し再興の緒に着いた。以降は延岡藩主の崇敬厚く、1821年委は藩主の支援で社殿を再興、歴代藩主の参詣があった。また江戸の旗本・奥女中・商人等の崇敬を受け、石灯篭などの寄進があった。明治に入り村社に列挌、1897年に社殿が造営された。1871年に西本宮が「天磐戸神社」、東本宮が「氏神社」に改称された。1970年に両社は合併し、現在の「天岩戸神社・東本宮」と「天岩戸・西本宮」となった。翌年に神社本庁の別表神社に加列している。

深々とする参道

階段の先に社殿

社殿

本殿

三種の神器・鏡

御神水

御神木・七本杉

鈿女