日本の城跡

日知屋城


遠望
訪問日 H31年 3月
ポイント 日向灘に突出した岩山に位置し、北・東・南の三方は海に面し、陸続きの西方に岩盤を切り削った堀切を設けた要衝。山頂に主郭を置き、その下に二の曲輪・三の曲輪で固めている。また東麓に船を繋ぎ得る海蝕洞がある。伊東氏48城の一つで、塩見城・門川城と共に日向3城の一つ。
印象 高千穂ツアーの途中、御見神社参拝後に隣接する鵜戸神社に行こうとしたら、偶然発見。現在、城跡は伊勢ケ浜海浜公園となっている。全山岩山で、縄張りは地形や岩盤に制約され、不整形な6つ程の曲輪からなっているようだ。空堀・土塁・石積みの遺構が見られたが、ツアー途中な為、駆け足で回った。
地図  
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略史  城の詳細は定かではないが、1457年頃、小浪川の合戦後に財部土持氏から伊東祐堯の持城となった。1485年、都於郡城主伊東祐国と弟祐邑は飫肥城の島津氏を攻めたが、祐国は飫肥城の大手門で討死、伊東軍は多くの戦死者をだした為、祐邑は兵を収めて日知屋城に入った。祐邑は宗家の為、豊後の大友氏との提携を図ったが、宗家は祐邑の謀反と疑い、刺客を放って祐邑を殺した。そのことがあって以来、祐邑の怨霊が伊東家にしばしば祟りをなしたと言われた。その後島津氏の所領となったが、豊臣秀吉の九州統一以降は延岡藩領となり、元和の一国一城令で廃城となった。

城碑

模擬門

登城坂

堀切



西の曲輪から階段

曲輪

更に上の曲輪へ

曲輪

東の曲輪

主郭

西の曲輪

西之曲輪

石積み

遠望