日本の城跡

記紀の道

日向神話の中心とも云うべき恋の物語を今も残る伝承地を歩く。神の国・高天原から地上の中つ国を治めようと、高千穂の峰に降臨された、天照皇大神の孫にあたるニニギノミコトはこの土地で美しい娘と出逢い、やがて二人は激しい運命をたどっていく。

                                        1.都万神社   2.御舟塚  三宅神社   3.逢初川  翁長姫と銀鏡神社   4.八尋殿   5.無戸室

                                        6.児湯の池  乳の水  童子丸神社   7.石貫神社   8.大山祇塚   9.鬼の窟   10.男狭穂塚・女狭穂塚

1.都万神社 神代の昔、コノハナサクヤヒメ(木花咲耶姫)という美しい娘が、都万神社のあたりに住んでいました。
      鳥居

御社殿

妻の楠

表参道

日下部氏発祥の地
 千年楠の洞洞木
2.御舟塚 高天原から降臨したニニギノミコト(瓊瓊杵尊)は、舟でカササノミサキ(笠狭御崎)にたどり着き、豊かなこの地を気にいりました。
ニニギノミコトは今の三宅神社あたりに笠狭の宮という御殿を建て、中つ国を治めました。

御舟塚
   三宅神社位置

隣接する日向国府跡
3.逢初川 ある日、ニニギノミコトは逢初川で水汲みをしていたコノハナサクヤヒメを見初められ、結婚を申し込みました。
    逢初川

記紀の道周辺

稚児ヶ池

古墳群


4.八尋殿 ニニギノミコトは逢初川のほとりに広さ八尋にわたる立派な御殿を建て、二人は新婚の一夜を過ごした。翌朝ニニギノミコトは土族の征伐に出かけました。

     八尋殿
     周辺の古墳

神々の系図
 
5.無戸室 征伐から帰ると、コノハナサクヤヒメは臨月を迎えていました。一夜の契りで子を身ごもったことをニニゴミコトに疑われたコノハナサクヤヒメは戸のない産屋を建てて籠り、「天孫の子であるなら無事生まれるでしょう」と中から火を放ち、炎の中で三皇子(ホデリ・ホスセリ・ホオリ)を生みました。

     無戸室



土塁跡
6.児湯の池 コノハナサクヤヒメハ、三皇子の産湯に近くの池の湧水を使わせました。池のほとりにはお産の神様(あおしま様)が祀られています。

    児湯の池

 乳の水(左の碑)
一度に三人の皇子を生んだコニハナサクヤヒメは、乳が足りず甘酒(大舐酒)を造って三皇子を育てた。日本酒発祥の碑が都万神社にある。
 7.石貫神社、8.大山祇塚
コノハナサクヤヒメの父であり、山の神でもあるオオヤマツミノミコトは、今の石貫神社のあたりに長い歳月住んでいました。今は大山祇塚に眠っています。

石貫神社

大山祇命が窟から抜いて飛ばした岩

大山祇命の墓
9.鬼の窟 ある日、コノハナサクヤヒメを嫁にと請う鬼が現れた。父神のオオヤマツミノミコトは「窟を一夜で造れたらみとめよう」と言いました。鬼は日本でも珍しい形をした美しい古墳を造りました。しかしオオヤマツミノミコトが鬼が寝ている間に石室の石を一つ抜いて投げ捨てていた為、未完成として結婚は叶いませんでした。石は石貫神社の辺りまで飛びました。石貫の地名の由来にもなった。

鬼の窟
      同
10.男狭穂塚・女狭穂塚 ニニギノミコトとコノハナサクヤヒメの御陵伝えられ、男狭穂塚は日本最大の帆立型古墳、女狭穂塚は九州最大の前方後円墳です。

     遠望

女狭穂塚

     遠望
その他 西都原古墳群
      古墳
      古墳

古墳
西都原考古博物館からの古墳群
      同

             ※西都市観光協会発行 : 「日本最古の恋めぐり」パンフ参照