日本の城跡

黒野城(別称:城藪)

主郭土塁
訪問日 S62年12月
ポイント 長良川の支流伊自良川が高富からながれてくる鳥羽川と合流する地点にある。周辺は水田と畑が多い。城はほぼ方形で土塁・水堀が廻っている。四方に隅櫓を構え、鉄砲の使用を考慮した城郭。
印象 方形の周囲を土塁と水堀に囲まれている。以前の知識がなかったので、こじんまりした城ながら、少し感激した。しかしなんといっても4万石の城だ。
地図
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略史  黒野城主加藤貞泰は遠江守加藤光泰の子である。加藤氏は西美濃安藤氏の一族で土岐氏の旧臣であった。加藤氏は元来黒野を領し、土岐氏に属してからは今泉の橋爪に住んだ。光泰はその後斎藤氏に仕え、後に豊臣秀吉に従って軍功を挙げ、近江高島・犬山城を経て大垣城に入った。その後佐和山城主、甲斐を領したが朝鮮の役の帰途に急死した。子貞泰は幼少の理由で黒野城に移されたが、関ヶ原の役で東軍に転じて宇喜多秀家を破る等軍功挙げ、米子に移封、廃藩に。米子では地子・諸役を五年間免除し、楽市を行う保護政策を打ち出した。
堀・土塁
主郭
堀・土塁