日本の城跡

楽田城

城碑・土塁
訪問日 S63年 2月
ポイント 戦国期の砦的存在であったろうが、小牧・長久手の戦いで二重の堀をめぐらす等強化、秀吉の本陣が置かれ最後の晴れ舞台となった。城中に5m.の壇を築き、この上に二つの櫓を建て中央に座敷を設けたという。これが天守閣のはじまりと言われる。
印象 小牧の戦いで有名、楽しみにきたが楽田小学校の敷地になっている。校庭の片隅に残る僅かな土塁にほつんと城碑が立っていた。
地図
地図をクリックすると拡大します

略史  尾張守護代織田氏の一族、織田久長が戦国期に築城した。その後犬山城主の津田氏が攻略したが、織田信長が奪い返し坂井政尚を守将としたが、いつの頃からか廃城になっていた。小牧・長久手の戦いで、小牧山の徳川家康に対し、豊臣方の堀秀政がこの古城を修築して入城。秀吉も犬山城から更に進出して入城し、家康と睨み合いとなった。戦後に廃城に。
  城碑
   
遠望・楽田小