日本の城跡
館山城・陣屋(別称:根古屋城)
略史 里見氏八代の義頼が小田原北条氏に対抗する為、富浦岡本城の本拠を館山に移すべく築城を計画、九代義康が完成した。しかし秀吉の小田原征討に遅参したことを責められ領地を房総三国から安房一国に減封された。その後関ヶ原の役で秀忠に従い宇都宮を守って功があり加増受けるも次の忠義の時、妻の祖父で小田原城主の大久保忠隣の失脚事件に連座、改易のうえ伯耆倉吉に転封された。外様大名取り潰し政策の犠牲となった。更に忠義は倉吉の東の田中に蟄居させられるなど悲劇的な一生を閉じた。(殉死した八名の家臣は南総里見八犬伝のモデル)里見氏改易後、城は破却されたが170年後淀藩主稲葉正親の三男正明が分家の養子となり安房・上総に一万石を与えられ再立藩した。正巳の時若年寄、老中格、海軍総裁などの幕府要職を歴任、戊辰時は藩論を恭順にまとめ難局を乗り越えた。 |