日本の城跡
福島城
略史 福島城は春日山城主堀秀冶が近世城郭を作るべく、国政の中心地として日本海に近い当地に起工した。しかし秀冶は完成を見ずに没し、弱冠十二歳で春日山城主となった嗣子忠俊が1607年に福島城に入城した。忠俊は若い為、賢臣として名高い三条藩主堀直政が執政として堀家を支えたが、直政が病死すると直政の嗣子直清と坂戸城主直寄の間で執政権の争いが勃発した。越後支配を狙っていた徳川家康はこの機会を逃さず、忠俊に大藩を治める力不足として福島城を収公、争いの咎で忠俊、直清をそれぞれ奥羽に配流、直寄を飯山藩に移封した。家康は六男の忠輝を入城させ、信濃川中島四郡をあわせ、念願の越後支配をさせた。しかし忠輝は間もなく上越平野の中心、高田菩提が原に築城を始め、福島城完成から7年後に高田城に移り、福島城は短命に終わった。 |