日本の城跡
春日山城(別称:鉢ヶ峰城・春日山要害)
略史 南北朝期に越後守護上杉氏が、越後府中の館の詰め城として築城した。その後守護代の長尾為景が上杉定実を擁立して、守護の上杉房能を追放、定実は府中に入り長尾氏が春日山城主となった。そして長尾為景・晴景・上杉謙信・景勝が居城したが、下剋上の嵐の中、越後支配の実権を握った為景が戦国の城郭として面目を一新し、謙信が現在に残る大規模城郭として完成させた。謙信は正義の戦いを旗印に関東・信濃・北陸・京都など遠征に明け暮れた。しかし謙信は上洛を夢見つつ49歳で死去、その後跡目を巡って景勝、景虎の間で、いわゆる”御館の乱”が勃発した。春日山城に拠る景勝が勝利して国主の座につき、20年間在城したが、天下を支配した豊臣秀吉から会津に移封を命じられた。代わって関東の徳川家康を牽制する為、秀吉の功臣堀秀冶が入城した。しかし秀冶は山城の春日山城は統治に不便として、直江津港近くに大規模平城の福島城を築城して移った為、春日山城の役目は終わった。 |
春日山神社脇の謙信像 | その前の馬場跡(茶店がある) | 春日山神社入り口 | ||
春日山神社(政所・老母屋敷跡) | 御屋敷跡(この下にある) | 中城跡 | 中城跡 | 中城跡、前方に千貫門跡 |
中城跡 | 千貫門跡・郭跡 | 郭跡 | 同内の土塁・空堀 | 同内の土塁 |
同内の二重堀切外側 | 同の二重堀切内側 | 上杉少弻入道屋敷郭虎口 | 同屋敷郭跡 | 先ほどの二重堀切内側を上から見る |
同堀切 | 同堀切の向こう側の搦め手 | 直江屋敷郭虎口 | そこからの本丸・二の丸方面 | 同じく三の丸方面 |
直江屋敷郭へ | 同・土塁 | 同から千貫門跡方面 | 直江屋敷郭の腰郭 | 同 |
同 | 直江屋敷跡 | 同 | 同から見た二の丸切岸 | 同から蓮池・宮野尾方面 |
同から反対側、但馬谷・城下方面 | 直江門跡・土塁 | 花畑 | 復元した毘沙門堂 | 同内部 |
同から花畑を見る | 本丸下の帯郭 | 同からの直江屋敷郭方面 | 同から二の丸・三の丸方面 | 護摩堂・諏訪堂郭 |
護摩堂・諏訪堂郭、毘沙門堂もあった | 同 | 本丸下帯郭、本丸切岸 | 同 | 本丸 |
同 | 同からの城下 | 天守櫓郭 | 同 | 本丸・天守櫓郭間の堀切 |
本丸方面 | 二の丸方面 | 同から南三の丸(左)・南二の丸(柿崎郭、右)を見る | 南三の丸 | 南二の丸(柿崎郭) |
本丸・天守櫓郭間の堀切下の井戸郭(大井戸) | 同から見た本丸切岸(油流し) | 同堀切を下から見る | 鐘楼郭 | 井戸郭・鐘楼郭間の堀切 |
同 | 鐘楼郭・景勝屋敷郭間の堀切 | 景勝屋敷郭方面 | 同虎口 | 景勝屋敷郭 |
同郭下を走る御成街道 | 柿崎屋敷郭方面 | 同から見た天守櫓郭切岸 | 御成街道、二の丸方面へ | 二の丸方面 |
二の丸(台所等) | 同から本丸切岸 | 本丸下帯郭切岸 | 三の丸脇の大堀切 | 三の丸へ |
三の丸・米倉土塁 | 三の丸 | 三の丸景虎屋敷跡 | 但馬谷脇の湧き水 | 堀切 |
二の丸方面・切岸 | 三の丸切岸 | 三の丸方面 | 但馬谷から本丸方面 | |
復元された監物堀・土塁 | 同 | 同 | 同虎口 | 同堀・土塁、前方に東城砦跡 |
同内部、前方に東城砦 | 同内部 | |||