日本の城跡

村上城(別称:臥牛山城・舞鶴城)

遠望
訪問日 H14年 6月
ポイント 城下を含めた総構の他、本丸、二の丸、三の丸には御鐘の門、月見櫓、四ツ門等多くの門、櫓を持っており、石垣が城山全域にわたって廻らしてある。市内には曲がり角の多い道路、丁字型道路等城下町の面影がいたる所に残っている。
印象 建造物はないが、全域に累々たる石垣、本丸、二の丸、三の丸、櫓、門跡が残る。草むした石垣、高石垣がすばらしい。きびしい風雪の中、こんな立派な城がこの地にあったのかと感激した。本丸からみる村上の街並み、鮭で有名な三面川、果てしなく広がる日本海が見渡せる。
地図
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略史  関東秩父の一族畠山氏を祖とする本庄氏が築城。戦国時代に本庄繁長が出て本庄城を本拠に勢力を拡大した。繁長は上杉謙信に帰属し有力部将として勇戦したが、武田信玄と通謀して突然謀反を起こした。しかし謙信自らの出陣で降伏、以後上杉家の忠良の部将となった。慶長三年の上杉氏の国替えで本庄氏も当城を去り、代わって村上氏が入封立藩、城を修築し村上城と改称した。村上氏が家中騒動の咎で除封され堀直寄が入封して城の改築拡張、産業の奨励等藩体制を整備した。しかし嗣子続かず除封、以後譜代大名の領地となり本多、松平、榊原、間部氏が続き藩主が定着した。幕末、意見対立の中、新政府軍に主戦派が抵抗したが敗退し藩主は自害、謹慎した。
縄張り
一文字門
同石垣
登城坂道
四ツノ門石垣
四ツノ門
三の丸
四ツノ門
四ツノ門石垣
出櫓
鐘の門から
出櫓・本丸石垣
鐘の門虎口
出櫓石垣
二の丸方面
黒門(並び門)
   本丸石垣
    
二の丸から本丸方面
  
本丸石垣
本丸石垣
埋め門
本丸冠木門
本丸石垣
本丸石垣
本丸冠木門
本丸・天守台
天守台
本丸
  
天守台
本丸崖
村上市内