日本の城跡

府中城(別称:石岡陣屋)

高麗門
訪問日 H14年 5月
ポイント 石岡は早くから大和朝廷の勢力圏となって常陸国府が置かれた。平安中期、平将門は常陸国府を襲い国印と正倉の鍵を奪った。この古代国府の跡地に大掾氏によって城が築かれた。
印象 土塁、堀、門が残るが小学校や住居等で取り壊されており殆んど残っていない。関東の城は土塁が多く、町の発展の為からか壊されているところが多いのが残念だ。
地図
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略史  常陸大掾氏の惣領銓国が築城し代々居城した。大掾氏は佐竹・小田・江戸氏とともに常陸を代表する武士団に成長し、佐竹氏と抗争を繰り返したが秀吉の小田原征討に協力しなかった為役後、佐竹氏の攻撃を受け自害、常陸平氏の名門は滅亡した。佐竹氏国替え後、出羽の六郷政乗が入封立藩した。次の皆川氏が嗣子なく断絶除封後水戸藩主頼房の五男頼隆が再立藩、讃岐高松、陸奥守山、常陸宍戸と水戸徳川四分家の一つとなり御連枝と呼ばれた。藩政の実権は宗家から派遣の重臣が握り、定府制を採った為独立藩としての形態は希薄だった。幕末、天狗党との戦いで焼き討ちに遭った。
案内
土塁