日本の城跡

三光院・普門寺

正門
訪問日 H20年 9月
ポイント 多くの寺宝は苦難の歴史の中で失ったものが多いが、本堂・客殿・鐘楼、赤門・黒門・書院・大師堂等歴史のある建物が多い。江戸末期に尊王攘夷を唱えた水戸天狗党の一隊が蜂起した陣営所でもあった。
印象 平沢官衙の管理人が、彼岸花が綺麗に咲いていると言うことで行く。彼岸花はいまいちだったが、歴史と風格を感じる。また寺から筑波山、日光連山、北関東平野が一望でき、すばらしかった。客殿の虫干しらしく、全て開け放たれて中の構造が良く見え面白かった。
地図
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略史  元亨年間(1321頃)、筑波山一帯で布教活動をしていた乗海和尚が開創した。天台宗の寺院。五世・慶珍和尚は当山鎮護の為山王権現を勧請し、更に豪族小田氏を大檀越にむかえ、小田四ヶ寺の筆頭寺院になった。その後小田氏の命で真言宗に改宗した。鎌倉末期には中央寺との関係が弱まり、常陸国内に508ヶ寺の末寺をもつ田舎本寺になった。南北朝、室町、江戸時代と興隆を極め、幕府より朱印地30石の寄進を受けた。しかし常陸国大名・小田氏が滅び、加護を失った事もあり少しづつ衰退の道を辿り始めた。特に明治政府による廃仏毀釈の影響は著しく衰弱を余儀なくされたが、昭和になって諸堂宇の大改修を行い、10万石相当の格式を誇った面影を蘇らせている。
下乗碑
薬師三尊・ツクバイ
鐘楼
彼岸花
筑波山
北関東平野