日本の城跡
北条城
j北条小学校・主郭
訪問日
H20年 9月
ポイント
城山(多気城)の東麓、北条より神郡に通じる道路の東と南に突き出た台地の端に位置する。現在北条小学校の敷地になっている。
印象
北条小学校の所、元気に小学生がサッカー等遊んでいた。学校は高台になった所にあり、一部崖状になっている。遺構は殆んどないが周囲を歩いていると歴史ある北条の町を感じた。
地図
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略史 鎌倉時代、八田知家の七男時家が築城、北条七郎と称した。四代知宗の時六波羅探題頭人となり、五代時知は南朝方北畠顕家に従い鎮守府引付衆となり、六代時綱は鎌倉公方足利基氏に属した。戦国時代、氏高は小田氏十五代氏治に背き、太田、梶原、真壁氏らと佐竹氏の配下となり氏治が籠る土浦城を攻め落とし守ったが、氏治配下の菅谷氏に攻められ討死した。その後北条城は下妻城主多賀谷政経に攻められ落城した。
遠望
小学校・主郭
土塁
同
同
石仏
学校脇の神社