日本の城跡
伊佐城
城碑
訪問日
H18年12月 、 H20年10月
ポイント
鬼怒川と勤行川に挟まれた台地にある。南端が下館城に続いており下館城と伊佐城は同一との説もある。この中館の地は伊達氏の発祥の地。
印象
下館城に続いて、勤行川沿いにある。天台宗の観音寺の本堂辺りが本丸らしい。道路沿いにある城碑周辺を最初探したがなかなか分からず、古寺の観音寺に興味を持ち、参拝して偶然見つけた。これも仏様の導きか。それにしても観音寺の仏様が国宝と分かり二度びっくりした。再訪。本堂周辺に土塁等遺構あり。整地されて五行川沿いの城郭であることがはっきり分かる。古い大木のケヤキがある。全体的に堂々とした寺、威厳を感じた。
地図
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略史 伊達氏は本領が陸奥に移っても代々この地を領し、建武の中興の頃伊達行朝が伊佐城を中心に南朝方として活躍したが、関氏、下妻氏の討死、北畠親房の関城脱出等で南朝方の組織的戦闘が不可能となるに従い行朝も陸奥に逃れ、伊佐城の伊佐氏も従った。伊佐氏は中納言藤原山陰の子孫で、藤原時長が常陸介となりここに留まり、その後源頼朝に従い奥州藤原討伐で功を挙げ陸奥の伊達郡と伊佐を領有したもの。
観音堂
同
遠望
H20年10月 再訪
観音堂
本堂広場
観音堂裏の土塁
観音堂方面
本堂方面・山門
五行川沿いの伊佐城
山門
石川総管の墓
本堂下広場
本堂脇の巨大なケヤキ
山門前土塁