日本の城跡
木原城
略史 築城者ははっきりしないが、応永六年(1399)の近藤民部正藤原利貞という説と、永禄五年(1562)の江戸崎城主土岐治英が築き、家臣の近藤氏が居城したという説がある。木原城は三度の落城の歴史をもつ。最初は1574年、小田氏冶の家臣の江戸崎監物が佐竹氏に寝返って小田氏を滅ぼして落城。二度目は九年後に佐竹氏と芦名盛重らに滅ぼされ、三度目は豊臣秀吉の小田原征討の時、木原城主が後北条氏に加担した為落城した。 |
搦め手口 | 同櫓台 | 稲荷曲輪 | ||
詰曲輪 | 同土塁、前の通路は堀跡 | 詰曲輪虎口方面 | 詰曲輪・稲荷曲輪方面 | 詰曲輪内古代環濠跡 |
詰曲輪・二の曲輪間の土橋 | 同反対側から | 同間の空堀 | 同 | 二の曲輪土塁 |
二の曲輪 | 二の曲輪虎口 | 二の曲輪下の水堀・弁天池近く | 稲荷曲輪・二の曲輪間の堀切 | 同間の空堀 |
稲荷曲輪から見た二の曲輪 | 稲荷曲輪、天守的な櫓があったらしい | 同 | 同土塁 | 二の曲輪虎口 |
二の曲輪・三の曲輪間の空堀 | 三の曲輪内の土塁 | 同内の木原小学校 | 三の曲輪 | |
大手から | 同大手郭・左山手堀跡 | 大手郭 | ||
二重堀近くの外郭 | 二重堀 | 同 | ||
二重堀土橋 | 二重堀 | 同 | 二重堀内の土塁 | |
同近くの上記二重堀 | 同 | |||
寺郭・手前水堀跡 | 同・同 | 旧館跡方面・同 |