日本の城跡

水守城

城碑
訪問日 H20年 9月
ポイント 平安時代の築城で、その後廃城になっているが、堀跡は深く中世に利用されていたと考える説も。常陸の豪族佐竹氏が筑波地方の拠点として多気城とともに古城に手を入れたのでは。
印象 なんということか。小学校が城跡を壊し建っていた。しかも小学校の校舎が変な建物。更に人の気配のない学校だった、土曜日のせいか?学校周辺を廻って、城碑・土塁・堀・土橋を発見した。また途中で雉の親子が土橋を横断しているところに会った。無事に育ってほしい。それにしても公立学校がこんな形で遺構を壊すとは残念だ。
地図
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略史  平国香の子良正が館を築く。のち平貞盛の弟繁盛の子維幹が居住した。その後維幹は北条に多気城を築いて移った為廃城になった。
本丸
土塁
本丸・小学校
土塁
本丸方面
堀・土橋
遠望