日本の城跡

中居城


二郭空堀
訪問日 H27年 4月
ポイント 当城は棚良谷津の渓谷に囲まれた地区にある。台地の頂上には7mの土塁を廻し、東を本城、西南を外城で構成されている。その周囲に二重、三重の空堀を回らした堅城である。
印象 18号線のベストフィッシュから、田植えが始まった中居集落に入って行き、二股を右に行くと中居城入り口の小さな案内がある。孟宗竹がうっそうと伸びているが、空堀・竪堀が見える。堀底道を上がっていくと、繋がっている1郭・2郭は深く、広い空堀で守られ、見事である。横矢も架かり、戦略的にも工夫が見える。藪で見ずらくなっているが、かなりの堅城であった。
地図
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略史  中居城は鎌倉初期に鹿島氏の一族の田野辺氏が当地に居住し、中居氏を名乗ったのが始まり。中居氏は当初、白鳥城を居城としていたが、勢力の拡大に伴って要害の地である当城に移った。豊臣秀吉の時代、佐竹氏の「南方三十三館」といわれた鹿島・行方両群の諸豪族のうち中居氏ら十五名に対する仕置きで太田城で謀殺され、中居氏は滅亡し、城は廃城になった。

入口

登城坂

堀底道

三郭と外郭間の空堀

外郭

腰曲輪

一郭土塁と三郭間の空堀

同空堀

一郭城塁

二郭城塁

虎口前の竪堀

虎口

同を内部より

一郭と二郭間の堀

一郭・土塁

一郭

一郭土塁

二郭土塁

同から見た空堀

二郭土塁

空堀


二郭土塁


同虎口附近

二郭城塁

二郭空堀の外側土塁

同土塁の切岸

同土塁

同土塁を巡る

同を振り返る

同空堀

同空堀

同土塁