日本の城跡

小栗城

遠望
訪問日 H18年12月、H24年 4月
ポイント 南北朝の争乱期、小栗城をめぐり激しい争奪合戦が行われた。
印象 時間がなく、走って見た為特段の印象はない。ただ、城の南麓にある内外大神宮は常陸国唯一の伊勢神宮の神領で、内宮と外宮があり内宮は天照大御神、外宮は豊受大御神が祭神。ここの太々神楽は茨城県の文化財に指定されているとのこと。歴史ある町再発見。再訪。地元のおばさんに聞くと、案内板があるとのことで登り始めると道が整備され分りやすく楽に登れた。途中、横堀・腰郭があり主郭へ。雑木も伐採されていた。要害堅固の城といったイメージはなかった。
地図
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略史  小栗氏は平貞盛の子孫で常陸大掾を世襲した大掾重幹の子重義が小栗五郎を名乗って土着したもの。次の重成は頼朝の挙兵に当初から従い、源平合戦で軍功あげた実力者で小栗判官といわれ、後に地頭になっている。奥州征伐にも参戦、その後、南北朝の争乱では本家大掾氏と鎌倉を攻めたが、のち足利氏の北朝方についた。満重の時、子助重と共に挙兵し鎌倉公方足利持氏に背いたが敗れ三河へ逃れた。その後持氏の子春王丸が小栗城に入り結城氏朝を頼って籠城したが戦いの隙を狙って小栗助重が小栗城を奪取した。さらに上杉持朝が助重を頼って小栗城に入城した為再びこの地は戦場となり小栗城は落城した。宇都宮氏がおさめた後結城氏との抗争が小栗城をめぐり繰り広げられたが宇都宮氏が秀吉に所領を没収、追放されるに及び小栗城も廃城となった。
案内
遠望
内外大神宮
麓の城碑 横堀 登城口 登城坂 城下の小貝川
帯郭 腰郭へ 腰郭 腰郭
U郭
横堀
主郭
帯郭
切岸
麓の館跡か
内外大神宮の池