日本の城跡

牛久城(別称:岡見城)


堀切
                                                         
訪問日 H18年 9月、H25年11月
ポイント 当時は周囲三方を沼に囲まれた自然の水を利用した天嶮要害の地。
印象 近く公園として整備されると地元の人に聞く。かなり大きい城で空堀、土塁等遺構が残っており楽しみだ。但し今は大変、全山竹林でうっそうとしており暗闇の中をやぶ蚊に刺されながら足早に見学した。再訪。竹藪が整備され公園となっていた、感謝!土塁・空堀が見事で、圧巻。T郭・U郭は規模も相当で空堀・土塁・腰郭で固めているが、V郭にはあまり防禦施設がない。外郭を含めると大規模城郭。
地図
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略史  岡見氏は初め小田氏に属していたが、小田氏が佐竹氏に滅ぼされると自立した。しかし下妻城主の多賀谷氏との抗争が続きついには責め滅ぼされた。その後北条氏の家臣で金山城主由良国繁が国繁の母の行動を秀吉に認められ入城したが嗣子続かず除封、廃城。
遠望 腰郭下の外郭 虎口 T郭土塁・空堀
T郭とU郭間の空堀 T郭、きの隙間から牛久沼が見える
同祠 T郭虎口 同土橋
同にある櫓台 T郭・U郭下の腰郭
同腰郭下の外郭 腰郭からの二の郭切岸 二の郭虎口 二の郭
同下の外郭 腰郭虎口 同虎口と二の郭と三の郭間の二重空堀・土橋
同の右側空堀 同の左側空堀 二重外側空堀 V郭への通路
同・V郭虎口 二重外側空堀 V郭からU郭を見る、二重空堀あり V郭
V郭からU郭方面 近くの牛久沼、昔は城下まで水が来ていた