日本の城跡

八田書院屋敷

書院屋敷門(石和陣屋移築門)
 訪問日  H26年 8月
 ポイント  甲府盆地の東部の洪積低地に位置し、笛吹川の旧河道沿いで、南には甲州街道が通る水陸交通の要地である。屋敷の周囲は濠で、一部に土塁と堀で固められ、屋敷邸宅部は武田氏滅亡時に焼失や笛吹川の氾濫などで変遷しているが、書院は江戸初期の建物で、屋根が茅葺の入母屋造りである。書院の間取りは奥の間・中の間・三の間・玄関で構成され、簡素な意匠に造られ、接客・応接の場であった。
 印象  石和陣屋門が移築されていると聞き訪問。綺麗に整備され、今日も家人と思われる夫人が庭の掃除をしていた。書院は茅葺でホッとするような建物、簡素である。屋敷地の一角に堤防を兼ねた結構厚い土塁が残っていた。また移築門の前の蓮池は、巡っていた濠の一部であろう。
 地図  
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略史  八田家は戦国時代の武田氏の家臣で、家中の財政を担う御蔵前衆を務め、かつ商業活動も行う商人でもあった。信玄時代の淡路守家重が始祖で、勝頼時代には今の笛吹市周辺の末木村を土地を与えられ、末木氏を名乗った。武田氏滅亡後、徳川氏の命で東市佑政清が八田姓に戻した。八田政清は家康から諸役免許状(朱印状)を受けて安堵され、有力郷士となった。

移築門

同内部より

門から書院方面

書院

同・庭園

同・水路(水濠跡)


同遠望

同・土塁

同・土塁

同・土塁

御書院庭園跡