日本の城跡
花鳥山城
腰郭
訪問日
H26年 8月
ポイント
大堀山の西方、複雑な地形の山岳地帯の先端部に位置する。低土塁に囲まれた細長い主郭と痩せ尾根で繋がる別郭、南郭、腰郭などで構成されており、堀切・竪堀で固めている。
印象
始め福光園寺の裏から登ったが、裏側に立派な道路が出来ており、更に墓地が広がっていた為車で登る。獣除けの柵を通り、林道を登り、砂防ダムの脇から急斜面を登る。結構苦労して腰郭に、更に主郭までなんとか辿り着いたが、砂防ダムの所で一度道を間違え、スタミナと時間を消耗したため、南郭は断念して早々に下山。欲求不満がたまる登城だった。
地図
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略史 甲斐の守護武田信春の三男満春は穴山家の養子になったが、信春の子信満の死後、一時的に武田家を継ぎ、武田信元と称した。信元死後、武田家は信満の子信重が継承したが、信元の次男穴山伊豆守は武田信重の勘気にふれ、穴山家を追放された。穴山家は信重の子信介が養子として継いだが、伊豆守はその恨みで信重を襲い討ち取っている。その時の合戦の陣城と思われる。
遠望
獣除け柵
林道
同
沢
砂防ダム
崖
腰郭
主郭への痩せ尾根
竪堀
同
主郭
堀切
沢
谷
笛吹市方面
福光園寺