日本の城跡
長南城(別称:庁南城)
略史 千葉氏の一族長南氏が居住していた。甲斐の守護武田信満の子で京に逃れ、将軍義教に仕えていた八郎信長が結城合戦に参戦、足利成氏の下で上総の戦いで功を立て守護職となった。信長は長南氏を追い、真理谷と共に上総支配の根拠地として長南城を築いた。以後五代百三十年間武田氏の拠点となったが、二代宗信の時には真理谷宗家と共に足利政氏の次男・義明を大将として小弓の原氏を追い、義明は小弓公方として居住した。豊臣秀吉の小田原征討の時、徳川家康の四天王本多忠勝に攻められ落城、廃城となった。 |