日本の城跡
一宮陣屋
遠望
訪問日
H22年 1月
ポイント
天然の地形を利用した平山城。当時は海岸線がもっと近くまで迫り、一宮川の河口に近かった為里見氏・正木氏の東上総の海上交通・軍事の拠点でもあった。
印象
小学校、振武館が立っている。藪が酷く、本丸等への進入路が見つからず周囲を見て帰る。ただ一つ、水堀と思われる水濠を発見、ほっとした。桜の季節には見事らしい。振武館から見る太平洋は雄大だ。
地図
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略史 戦国時代、里見氏の家臣須田将監の城といわれるが、城主内藤久長の時、里見氏、万木土岐氏、大多喜氏らに攻められ落城した。その後勝浦正木氏の持城となったが、第二次国府台合戦の時里見氏から離反した為、里見氏の臣、大多喜正木氏の支配となった。徳川家康の関東入部で廃城になったが、1826年に徳川吉宗の側近で伊勢八田に立藩した加納久通の子、加納久儔が父祖の地に入封し、一宮城跡に陣屋を築いた。加納氏は幕末に幕閣として活躍した。
模擬大手門
大手門から本丸方面
振武館周辺
城山にある加納久宜の墓
城下の一宮小学校・太平洋
水堀