日本の城跡

上総国分寺

訪問日 H22年 4月
ポイント 伽藍配置は藤原京の大官大寺に似たもので、中門と金堂に囲まれた回廊内の金堂手前右に東塔のみがあった。塔は七重塔で、高さは60m前後の高さであった。この最大の国家事業の造営は困難を極め、国を護る寺であるが故に民衆の支援を得られず、律令国家と運命を共にした。平安時代半ばには大半が荒廃し、現存するものは奈良の東大寺のみである。現存の国分寺は西向きに諸堂が並んでおり、仁王門・薬師堂がたっている。
印象 現存の国分寺が建っている。その薬師寺が萱ぶきで重厚だ。ちょうどボタンが咲き誇っていた。現存寺の周囲が元の国分寺跡で遺構は七重塔跡等が若干あるがあとはなかった。広い原っぱになっている。
地図
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略史  天平13年(741)聖武天皇の詔によって、全国60余国に造営された僧寺と尼寺からなる国立の寺院である。僧寺は釈迦如来、尼寺は阿弥陀如来を本尊としている。全国の国分寺を統括する寺は奈良東大寺・法華寺を総国分僧・尼寺とし、律令国家として日本全土を仏法に護られた地を目指した。
現存寺仁王門 同前の将門塔と呼ばれる宝篋印塔 同薬師堂
咲き誇るボタン
国分寺碑 西門跡
七重塔の塔心礎石