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訪問日 |
H22年 4月 |
ポイント |
伽藍配置は藤原京の大官大寺に似たもので、中門と金堂に囲まれた回廊内の金堂手前右に東塔のみがあった。塔は七重塔で、高さは60m前後の高さであった。この最大の国家事業の造営は困難を極め、国を護る寺であるが故に民衆の支援を得られず、律令国家と運命を共にした。平安時代半ばには大半が荒廃し、現存するものは奈良の東大寺のみである。現存の国分寺は西向きに諸堂が並んでおり、仁王門・薬師堂がたっている。 |
印象 |
現存の国分寺が建っている。その薬師寺が萱ぶきで重厚だ。ちょうどボタンが咲き誇っていた。現存寺の周囲が元の国分寺跡で遺構は七重塔跡等が若干あるがあとはなかった。広い原っぱになっている。 |
地図 |
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