日本の城郭

松尾城・陣屋

知事邸跡の松尾中学校・汐見坂と45度の胸壁
訪問日 H21年 4月
ポイント 江戸時代後の、版籍奉還後の築城という全国的にも非常に貴重な存在であり、藩庁と知事邸が分離するなど他にはない特異な形態をもっている。縄張りは信濃の龍岡城、蝦夷の五稜郭などに見られる西洋風の稜堡式で、九十九里浜を望む木戸川東岸の台地上に築き、中央の最高所に藩庁を、土塁で区切った部分に台地を造成し、藩知事邸をつくり、長屋門を設置した。
印象 徳川家の大政奉還によって将軍が駿河へ移った為、そのあおりを受けて駿河周辺の大名が各地に飛ばされ、太田氏もここに城を築いた。西洋式城郭だったらしい。自動車教習所周辺に三角形の星形の土塁が残っている。しかし大半は住宅開発等で消えてしまったようだ。残念。
地図
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略史  徳川慶喜の大政奉還に伴う領地替えで掛川の太田資美が柴山藩を立藩。のち山林原野を開拓し新城下を竣工し、藩庁を移した。
汐見坂案内
知事邸土塁
 藩庁跡の教習所・星形土塁
近隣に残る土塁
教習所裏の土塁
汐見坂の下から藩庁方向を
汐見坂を下った所から見る