日本の城跡
笹子城
7郭の城碑
訪問日
H22年 1月
ポイント
小櫃川がつくった洪積平野を望む小櫃川の支流、笹子川が北方に開析した谷がある。この谷の中央に舌状に張り出した頂上の狭い枝状の丘陵を利用した直線連郭式の城。小櫃川南岸の下流域や、木更津港に通じる鎌倉街道を押える位置にある。南から本丸・二の丸・三の丸が続いており、それぞれは堀切と土塁によって仕切り独立している。更に周囲の斜面には腰郭で防御している。
印象
なかなか見つからず、地元の人に聞いてやっと辿り着く。登城口まで行くと案内がある。竪堀を登っていくと堀切があり左右に分かれ、本丸の方から見る。本当に中世、関東特有の土の城だ。大きな堀切が目を見張る。尾根を堀で細かく仕切っている。南の郭に行くと、ここも大きな堀切が残っていた。土の城だけに今後の保存をお願いいたい。
地図
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略史 真理谷城主の真理谷信興が支城として戦国期に築城。信隆の時、笹子城主武田信茂に謀反の嫌疑から、家臣の後藤兵庫助・鶴見五郎らに急襲させ信茂を自害せしめ、鶴見氏が城主となった。しかしやがて鶴見氏と後藤氏間で紛争が勃発、後藤氏が大多喜城主の武田氏や小田原の北条氏の援助を受け鶴見氏を自害させた。後藤氏は笹子城を家臣に守らせて中尾城にいたが、その後安房の里見氏に攻められ落城し廃城となった。
竪堀
5郭と6郭間の堀切
6郭の城塁
7郭へ
8郭と7郭間の土塁
9郭・土塁
8郭から9郭を
9郭の城塁
9郭と10郭の大堀切
8郭と9郭間の土塁
同堀
8郭土塁
8郭から7・6郭を
7郭から6郭・神社を
6郭堀切
同
6郭城塁
5郭方面
5郭脇の腰郭
5郭脇の腰郭(反対側)
3郭と5郭間の堀切
5郭
3郭から2郭を
2郭城塁
1郭と2郭間の堀切
2郭脇の堀切と腰郭
遠望
同
余湖くんより