日本の城跡

東金城・付東金御殿

本漸寺・城碑
訪問日 H3年10月、H21年 4月
ポイント 古河公方、上杉勢力を背景にした千葉一族戦乱の地。
印象 八鶴湖畔にある本漸寺の裏山。三重の空堀もある地方豪族の山城。八鶴湖畔に写る夕景も又、良し。   今回、本漸寺と東金高校の間の登城口から城山に登る。尾根を削ったようで本丸はじめ各曲輪は小さい。それにしても藪だらけであまり深く入れず残念。帰りは本漸寺方向に下りていく。こちらの方が腰曲輪・堀切等があり山城の雰囲気が残る。本漸寺は城碑が変ったり、墓周辺を綺麗にしたり整備されていた。前回は分からなかったが、東金高校が徳川家康が狩に来た時の宿泊所だったとのこと。  
地図
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略史  千葉氏の支城。千葉一族は古河公方と上杉氏の勢力を背景に両総を二分して争った。この時千葉六党の一つ美濃郡上の東常縁が将軍足利義政の命で下向し、古河公方に味方した馬加氏を追討、両総を制圧した常縁は武将浜式部氏を入城させた。応仁の乱後、山口主膳が、次いで土気城主の酒井定隆が入城し、土気・東金の両酒井と呼ばれた。
本漸寺
以下、H21年4月訪問時撮影:移転された城碑
登城坂(左は東金高校・東金御殿跡)
奥の院へ
奥の院(小曲輪)
堀切
堀切
三の丸
本丸より本漸寺裏を
本丸・櫓台
本丸
二の丸
大堀切
本丸城塁
墓地裏の小曲輪
堀切
城主酒井定隆の供養塔
霊場・本漸寺墓地の裏
   余湖くんより
 
東金御殿
東金高校(御殿跡)