日本の城跡

五覧田城(別称:五乱田城)

西の郭
訪問日 H25年 4月
ポイント 沼田から黒川谷に通じて東上野に抜ける利根道を押さえる要衝。山麓の関守に単郭の関所があり、この関所を防備する城として築城された。城は渡良瀬川と小黒川に抱え込まれた山地の南端の要害山の山頂にある。縄張りは山頂から尾根にかけて丁字形に築かれ、合計14個の郭が並ぶ連郭式山城、幅は最大30mにすぎない。主郭は低土居を巡らせ、東に半月形の武者だまりをもつ。西には堀切を隔てて数個の郭をもつ西郭がある。東郭と主郭の間には大堀切があり、東郭は一城別郭式の独立支点である。主郭の北には二筋の堀切を間に細長い北郭がある。
印象 駐車場がある、比高70mという山頂に一番近い戸屋沢橋登山口へ。周りの桜はまだ蕾状態。登山道は整備され、のんびりと登る。細尾根を削平した山城で、郭は広くない。途中堀切らしき遺構を通って東の郭へ。展望台があり、眺めが良く、旧足尾銅山方面も見えた。更に登っていくと、いくつかの小郭や堀切、竪堀を通って、僅かに土塁が残る主郭へ。更に行くと、堀切に仕切られた郭が続いた西郭があった。今回は北郭は遠望のみ。基本的には、両側が急崖の尾根を堀切で断ち切った戦闘用の山城であった。
地図
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略史  北条氏が深沢城主阿久沢彦三郎に命じて築城したが、上杉謙信が沼田への街道を扼するこの城を攻め落とした。しかし北条方の由良国繁が五覧田根小屋を奪還し、この地を支配した。その後、由良氏が北条氏と敵対すると、北条氏は在地土豪の阿久沢・前原・目黒氏らに命じて五覧田城を攻略させた。その後一時的に真田氏が略取したが、阿久沢氏が真田氏城代の久屋三河守を討ち取って城を奪い、沼田へ進出した。しかし豊臣秀吉の小田原征討で阿久沢氏は北条方として秀吉に対抗した為没落、城は廃城となった。
駐車場から東の郭方面 東の郭方面 振り返る、外郭
東の郭(展望台) 同土塁 主郭手前の堀切
主郭方面 主郭下の武者溜まり 東の郭を振り返る
主郭虎口 主郭 北の郭への虎口 その先の堀切
堀切から振り返る 西の郭へ 堀切
主郭を振り返る 次の堀切 下から振り返る 堀切
次の小郭 振り返る 堀切 次の小郭
先の尾根
遠望
足尾銅山方面