日本の城跡

稲荷城

主郭虎口・土塁・石積跡
訪問日 H25年 4月
ポイント 稲荷城は山田川・吾妻川合流点西方の段丘上に築かれている。主郭は方60mの五角形で、高さ4mの土居を巡らし、虎口は東西両面の南寄りに開き、北外側は腰郭、他は三方は囲堀で東北・西北・東に竪堀が伸びている。二の郭は主郭の東・南・西を巡り、西の高土居外に鉤形の堀虎口がある。
印象 雨模様の天気。少し城への道を迷ったが、神社の裏の私有地の道を遠慮しながら登る。人家の裏を抜けると突然、目の前に土塁に囲まれた主郭・虎口が現れる。感動!最初はそれほどの規模と思わなかったが、しっかりした空堀・土塁が主郭を囲み、三方は崖で陸続きの西側は複雑に堀や土塁が入り組んでいる二の郭・腰郭が固めていた。遺構がほぼ完全に残り、整備もされ見やすかった。期待以上の城で、つい小走りになってしまった。
地図
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略史  藤原秀郷を祖とする在地豪族の吾妻氏が1190年代に築城。後鳥羽上皇が鎌倉幕府倒幕の為挙兵した承久の乱の時、幕府軍として出陣した吾妻助光が宇治川で討死した。その後吾妻氏の実権は次第に家臣の大野・塩谷・秋間の三家に移っていった。1405年、岩櫃城主斎藤憲行は吾妻地域を掌握すると、稲荷城に五男の憲基を入城させた。憲基は大野氏を称し、原町地域に勢力を伸ばし、孫の義衡の時に塩谷・秋間氏を滅ぼして岩櫃城主となった。その後稲荷城は岩櫃城の出城として戦国時代まで使われていた。
城下の館跡の神社 同土塁 同石垣(後世?) 同神社
館跡、裏が城跡 小郭土塁 腰郭と主郭虎口 主郭腰郭
主郭虎口 主郭腰郭・空堀 空堀・二の郭 主郭虎口(内部より)
主郭土塁 同・二の郭への虎口 同虎口 同虎口から二の郭方面
主郭と二の郭間の空堀 二の郭と腰郭間の空堀 主郭土塁 主郭北側の犬走りと崖
腰郭周辺に巡る空堀と土塁 腰郭虎口 腰郭
同・土塁 同土塁 同土塁・空堀 外郭・空堀
腰郭・土塁・空堀
外郭切岸
外郭 館跡 主郭土塁・堀切
主郭虎口 稲荷城北側からの遠望(崖) 縄張り