日本の城跡
伊勢崎陣屋
略史 室町期に那波氏所属の赤石氏が同聚院辺りに築城。那波宗俊氏が敗死後は由良氏、上杉氏、由良氏、そして北条氏と所属が変遷した。徳川家康の関東入部により、白井城主本多広孝の支配となったが、五年後稲垣長茂が入封、大阪夏の陣後越後に転封となり、赤石城は廃城となった。その後、厩橋城主酒井重忠の子忠世が分与され善養寺に陣屋を構え、利根川治水、伊勢崎銘仙事業等に尽力した。伊勢崎陣屋は酒井忠寛が、1681年に旧赤石城の南方に築城した。忠温の時、水路の開削で広瀬・桃井堤を完成し灌漑に成功した。酒井氏は後に姫路へ移ったが、伊勢崎の地は酒井氏が九代領有して明治を迎えた。 |