日本の城跡
新堀城
(別称:多比良城)
訪問日
H23年 9月
ポイント
平井城と別城一郭の関係とも。土合川とその支流の間の深い谷に突出した台地上に位置する。本丸は方形で、北には二段の郭で固めている。他方、陸続きの東側に土居と堀を、南側にも幅広い堀があり、その外側にそれぞれ曲輪を設けている。追手虎口は南側中央にある。
印象
分りずらかった。畑にいた夫人に聞くと、この周囲が城跡とのことで、一面畑になっている。柿の木のしたの雑草の中に城碑が埋まっていた。北側二方は雑木林・竹林になって見ずらいが、急峻な崖になっている。他方、陸続きの南側は深い堀と広い堀で防御していたと思われるが、今は僅かに堀跡が残る程度だ。畑の夫人は、後継者もいないので将来は全く荒れ果ててしまうだろうとさみしげ。
地図
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略史 箕輪城の長野業政の従兄弟の在地領主の多比良氏が築城、平井城の有力支城であった。1563年、武田信玄が上州に侵攻、新堀城は落城し、城主多比良友定は収蔵していた上杉家の家宝を焼いて自刃した。他方1590年、豊臣秀吉の小田原征討の際、上杉景勝の家臣藤田信吉に降伏したとも言われている。廃城時期は不明。
主郭
郭
北西側の深い谷
空堀
南側空堀
ダリヤ